「古代道路の謎~奈良時代の巨大プロジェクト」本の紹介。

古代道路の謎―-奈良時代の巨大国家プロジェクト(祥伝社新書316)

1300年前の巨大な道路はなぜ造られ、廃絶したのか?
建設業者としても興味があるので、購入して読んで見ました、新書なので読みやすいです。

日本史の教科書で律令制や駅制などを習いましたけれど、奈良時代に大和王朝によって日本中に今の高速道路網に匹敵するような巨大道路のネットワークが実際に作られていた。
東京都国分寺市では1300年前の幅員が12mある直線道路の発掘調査も行われた、しかも道路は正確な測量に基づく直線道路で、こうした巨大道路が日本中にはりめぐされていた。
この奈良時代の巨大道路は強力な天皇親政を始めた天智天皇による「日本列島改造論」であったのだと。
「租庸調」という言葉で示される律令制度による徴税や荷役を実行して、こうした巨大道路がつくられていったのでしょう。
この本では当時大和王朝と争った一大勢力の拠点吉備国(岡山県)にあったと思われる道路を実際に辿っています。

しかし、その後の日本は中央集権制から地方分権へと時代が移り、古代の巨大道路網はうち捨てられてしまい、江戸時代に作られた街道でもその幅員は数メートルにすぎなかったとのこと。

この本の後半では「古代道路の見つけ方」という章で、地名や航空写真、様々な史料から古代の道路をみつけるためのテクニックも書かれています。
道路跡は畑の土壌も違うところから「ソイルマーク(土壌痕跡)」として道路の跡が目に見えるケースもあるそうですよ。
群馬県太田市における「古代道路」の調査で発見された「ソイルマーク」。
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/nittabunka48.html

大分においても今の南大分の古国府にあったと比定される高坂駅から、荏隈、賀来、今の大分大学医学部の裏の古野あたりを通って筑紫の国府(博多?あるいは太宰府あたりか?)と結ばれる駅路があったそうです、今の210号線に沿って古代の街道が造られていたのでしょう。

田中裕介別府大学教授による「大分平野の古代道路遺構と「海部路」の復元」
豊後国府を起点に、太宰府道と日向道という二本の直線の「古代道路」が造られていた。

http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/download.php/kc17304.pdf?file_id=3597

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大分市で会社員をしています。ネットウォッチが趣味です。
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